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横浜地方裁判所 昭和57年(ワ)216号 判決

原告

中野仲康

被告

株式会社ダイヤ厨房

主文

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一申立

一  請求の趣旨

1  被告は、原告に対し、九三六万二九一〇円及びこれに対する昭和五四年九月二五日から右完済まで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行の宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二主張

一  請求原因

1  本件事故の発生

(一) 日時

昭和五四年九月二五日午前一一時頃

(二) 場所

東京都中央区銀座一丁目一二番地首都高速道路新京橋出口付近

(三) 加害車両

赤木正雄運転の普通乗用自動車(登録番号・練馬五七ひ四九九一、以下、「被告車両」という)

(四) 被害車両

野沢史朗運転の普通乗用自動車(登録番号・横浜五五の二八八〇(以下、「原告車両」という)

(五) 事故態様

原告車両が、東京都中央区銀座一丁目一二番地首都高速道路新京橋出口取付道路の下り坂の途中で、渋滞のために先行車両に続いて停止していたところ、後方から進行してきた被告車両に追突された。

2  傷害

原告は、原告車両の後部座席に同乗し、運転手と話をするため頭部を前方に突き出すような姿勢であつたところ、追突された衝撃で体が後ろに倒れ、座席の枕に後頭部を打ちつけて頸腰椎挫傷の傷害を負つた。

原告は、昭和五四年九月二五日の事故直後においては、格別の自覚症状はなかつたが、三日目から下痢症状が現れて日をおつて激しくなり、また、体がだるくなり、頭痛、頸部痛も現れるようになつた。同年一〇月中は我慢していたが、一一月に入り、整体術師に観てもらつたところ、腰椎椎間板ヘルニアと診断され、交通事故によるものと指摘された。原告は、爾後、別表、記載のとおり、松井医師、片平療院、大和外科病院の中野医師、工藤医師、板谷整体術師などの診療、治療を受けた。

原告の症状は、松井豊医師によつて自律神経失調症と診断され、大和外科病院では、レントゲン検査の結果、頸部の前屈制限につき頸椎一ないし四に異常像が認められ、これと主訴である頸部痛との間に関係があると診断され、頸部捻挫ないし頸腕症候群の診断名が付された。

原告の症状が本件事故後に現れ、昭和五四年一二月以降は休業を余儀なくされている。このこと自体、原告の傷病が本件事故に起因することを雄弁に物語つている。原告の症状は、いわゆる鞭打ち症の症状である。原告の症状に自律神経失調症の病名を付するとしても、この自律神経失調症そのものが交通事故による外傷によつても起こりうるのであつて、自律神経失調症であるからといつて本件事故と因果関係がないとはいえない。

本件事故の際の衝突の衝撃は相当激しいものであつた。衝突によつて、原告車両は、後部バンパーが凹損して車体に食い込み、トランクモールも変形して、両者ともに取り替えなければならない程の損傷を受け、被告車両も前部バンパーが斜めに下がる程度の損傷を生じた。各車両の損傷状況は、原告に椎間板の変形(ヘルニア)、鞭打ち損傷を惹起するに充分な衝撃があつたことを示している。

3  被告の責任原因

被告は、被告車両を保有し、これを自己のために運行の用に供していたものであるから、自動車損害賠償保障法三条に基づき後記損害を賠償すべき責任がある。

4  損害額 合計九三一万四九七〇円

(一) 治療関係費用 一一九万八〇三〇円

(1) 治療費 五三万八八〇〇円

別表記載のとおり。

但し、同記載番号は、治療器具(電子鍼)購入代金である。

(2) 通院交通費 五九万八五五〇円

別表 記載のとおり。

(3) 諸雑費 六万〇六八〇円

別表 記載のとおり。

(二) 休業損害 六一一万六九四〇円

(1) 原告は、本件事故当時、学校法人堀井学園京浜女子大学横浜高等学校に教員として勤務し、一か月平均四六万六〇六二円の給与を得ていたが、昭和五五年四月三〇日、同校を退職した。退職した理由は、前記傷病のために欠勤が増え、同校における教務遂行が困難になつたことにある。原告は、本件事故当時、学校法人中野学院若葉台第一幼稚園にも非常勤職員(事務手伝)として勤務し、一か月平均一〇万五〇四四円の給与を得ていたところ、昭和五五年五月一日以降は、同幼稚園に常勤職員として勤務し、一か月平均三五万九七二〇円の給与を得ている。右高等学校を退職した後の給与は、一か月当たり二一万一三八六円減収となつたことになる。昭和五五年五月一日から昭和五六年一二月末日までの給与の減収は、合計四二二万七七二〇円となる。

(2) 原告は、本件事故当時、学習塾中野学院を経営し、自ら珠算を教授していたところ、本件事故後の昭和五四年一〇月初旬から、自ら珠算を教授できなくなり、第三者を雇用して教授させている。第三者を雇用して支払つた額は、昭和五六年一二月末日までの合計一八八万九二二〇円となり、右同額の損害を受けた。

(三) 慰謝料 二〇〇万円

原告は、生来健康であつて、本件事故前は、一か月平均の欠勤日数が二日程度に過ぎなかつたところ、本件事故後、従来は存在しなかつた症状が現れ、同年一一月中は欠勤日数が一二日となり、一二月以降は休業を余儀なくされた。原告は、本件事故にあつたために甚大な肉体的精神的苦痛を受けた。右は、少なくとも二〇〇万円をもつて慰謝されるべきである。

5  よつて、原告は、被告に対し、本件事故に基づく損害賠償として、前項(一)ないし(三)の合計九三六万二九一〇円及びこれに対する本件事故発生当日から右完済まで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1(一)ないし(五)の事実は認める。

2  同2は争う。

本件事故は、停止中の原告車両に、被告車両が時速約五キロメートルで追突したものである。原告車両は、前方に押し出されておらず、原告の身体は、頸腰椎挫傷を負うほどの衝撃を受けていない。

原告の症状について、整体術師佐藤義衛による腰椎椎間板ヘルニアという診断、鍼灸師片手勤による鞭打ち症という診断、整体術師板谷健一による腰椎鞭打ち症、自律神経失調症等という診断は、いずれも信用できない。松井医師は自律神経失調症と診断し、大和外科病院の中野医師は、頸腕症候群と診断し、本件事故との関係の有無は判断不能と言つている。工藤医師も、原告の症状と本件事故とは関係がないと診断した。

佐々木医師の身体外傷後の反応性うつ病という診断は、原告が頭部外傷を受けたことを前提にしている。しかし、原告が頭部外傷を受けたという事実自体が、憶測の域をでないものである。そもそも、反応性うつ病とは、そこから抑うつが生じることの了解ができるような情動体験から続発する鬱(うつ)状態であり、抑うつ気分は契機となつたシヨツクの体験と直接結びついていて、抑うつの内容はもつぱら契機となつた体験に集中するものと理解されているものである。佐々木医師の診断は、前提事実を誤つており、医学的にも論理的にも妥当性を欠くものである。

3  同3のうち、被告が被告車両を保有し、これを自己のために運行の用に供していた事実は認めるが、被告の責任は争う。

4  同4の事実は知らない。原告請求の治療費、通院交通費及び諸雑費は、本件事故と相当因果関係がない。慰謝料の金額は争う。

5  同5は争う。

第三証拠〔略〕

理由

一  請求原因1(一)ないし(五)の事実、同3のうち、被告が被告車両を保有して自己のために運行の用に供していた事実は、当事者間に争いがない。

二1  原告本人尋問(第一、二回)の結果及び鑑定人大野恒夫の鑑定の結果によれば、原告自身は、本件事故以降の身体の状態について、「昭和五四年九、一〇月頃は、腰はたまに週一、二回程度痛んだくらいです。普通に働いていて疲れたのかなあと思つたくらいです。」「事故の翌日から、下痢というよりもトイレにいく回数が増えたのです。三日目からゆるくなり、次第に水つぽい状態になりました。天気によつても具合が違つたのですが、下痢症状は疲れかもしれない、少しのんびりすれば良くなるだろうと思つて、学校には遅刻して行つた。一〇月に入つてから、かつたるくなり、一〇月中旬には、朝起床ができなくなり、朝六時起床が、七時になり、八時、九時となり、午前中起床できなくなり、午後から勤めを休んだ。いらいらして、人と会うと喧嘩になる口のきき方をしていた。頭重と肩こりがあり、夜は眠れなくなつた。終いには一日中寝ている状態になつた。頭痛もあつた。首から後ろにかけて痛み、頭の内部から針で突かれるような痛さであつた。昼も夜もうつらうつらするような眠り方になつた。」「一〇月は医者には行つていない。この状態がずうつと続いていた。」「原因がはつきりしないが、九月にぶつかつたのが原因かなあと思い、とりあえずいつてみようということで、一一月八日から佐藤治療院に行つた。」「疲れくらいにしか思つていなかつた。佐藤先生から交通事故をやつているなと言われて、交通事故が原因なのかと思うようになつた。」「下痢の方は、片平治療院に通うようになつてから回数も少なくなつた。頭痛、腰痛、倦怠感、気力の低下は、昭和五五年四月くらいから多少ですが良くなつてきた。うす紙を剥ぐような感じで良くなつてきた。天候さえ良ければ痛みはない。昭和五八年六月六日現在、それらの症状は九分九厘なくなつている。」などと説明している。

2  前記鑑定の結果によれば、原告の自覚症状は、頭重感・頭痛(時々)。項部痛(左右)・めまい感・目が疲れる・目が痛い・左右の手のふるえ・疲れ易い・根気がない・物忘れする・怒つぽくなつた・いらいらする・ひどく肥つた・下痢をするというものであつて、主訴は、頭重感・怒りつぽい・他人と話すのがいや・疲れ易いというものであると認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。

三  原告は、前項の症状について、本件事故によつて頚腰椎挫傷を負つたものであり、頸腰椎挫傷、椎間板の変形(ヘルニア)、むちうち損傷、又は自律神経失調症のいずれの傷病名を付するとしても、本件事故と因果関係があると主張する。

1(一)  原告本人尋問(第一、二回)の結果及びこれにより真正に成立したものと認められる甲第四号証、第七号証、第九号証によれば、原告が、昭和五四年一一月八日、一五日、二二日及び同年一二月二日有限会社佐藤治療所院長佐藤義衛の施術を受け、腰椎椎間板ヘルニアという診断を受け、昭和五五年一月に鍼灸師片手勤からむちうち症という診断を受けた事実、昭和五六年一〇月二五日整体術師板谷健一の施術を受け、頭痛及び下痢症状の原因は腰椎むちうち症にあり、不眠の原因は自律神経失調症にあるという診断を得た事実が認められるけれども、鑑定人大野恒夫の鑑定の結果によれば、いずれも医学的な診断能力を有する者とはいえず、これらの診断は信頼性に乏しいものと認められる。原告本人尋問(第一回)の結果によれば、なかでも佐藤義衛の判断は、原告の顔を見ただけで、説明も聞かず、身体も見ないまま、安易に症状を交通事故に結びつけたものであることが明らかであり、到底採用に耐えない。

(二)  成立に争いのない甲第三号証及び乙第一三号証、並びに原告本人尋問(第一、二回)の結果によれば、原告が、医師松井豊から昭和五五年一月一九日付診断書の発行を受けた事実、右診断書が「自律神経失調症、五四・一一・一七当院初診、頭痛、全身倦怠感、気力低下、下痢等、症状はやや軽快の方向であるが、まだ充分ではない。」という内容であつた事実、右診断書には、「(九月二五日の交通事故が関係している可能性があります)」という旨も表示されている事実が認められる。

しかし、前掲甲第三号証及び乙第一三号証、並びに原告本人尋問(第一、二回)の結果によれば、原告は、知人から紹介を受けたうえで松井医師を訪ね、本件事故について説明したうえで診療を受けた事実、同医師は、昭和五八年六月六日、原告から「五四年一月一一日の諸症状は五四年九月二五日の交通事故が関係している可能性があります」という旨の診断書の発行を求められたが、これを断つた事実、右の昭和五四年一一月二六日付診断書中の「(九月二五日の交通事故が関係している可能性があります)」という記載は、後から原告が書き加えたものである事実が認められ、医師松井豊の診断結果及び右三通の診断書によつては、原告の症状が本件事故と因果関係のあるものと推認するに足りない。原告には、自己の症状を本件事故にことさらに結びつけようとする姿勢があり、その供述には一概に措信できないところがある。

(三)  原告本人尋問(第一、二回)の結果、これにより真正に成立したものと認められる甲第五号証及び第六号証、並びに成立に争いのない乙第一四号証、第一六ないし第一八号証によれば、原告が、昭和五五年九月一七日大和外科病院で診療を受けたうえ、医師中野清七から頚椎の前屈制限と主訴である頚部痛との間に関係があると診断され、昭和五五年一〇月二日に頚部捻挫の診断名が付された診断書の発行を受けた事実、原告が当初昭和五五年三月に発熱と咳、痰、頭痛、めまい感を訴えて工藤三郎医師の診療を受け、同年九月にも発熱と全身倦怠感、下痢症状、吐き気、頭重、口渇感を訴えて同医師の診療を受け、更に昭和五六年三月二七日、頭重、めまいなどを訴えて同医師の診療を受け、同日付診断書の発行を受けた事実、右診断書の記載内容は、生来健康にして内科的に異常を認めない、昭和五四年九月二五日交通事故で頚部挫傷を受く、それ以後、時(陽気の変わり時)に、頭重、めまい等の交通事故の後遺症の症状あり、治癒の見込み不明というものであつた事実が認められる。

しかし、前掲乙第一四号証、第一六ないし第一八号証、並びに原告本人尋問(第一、二回)の結果によれば、医師中野清七は、レントゲン検査の結果、頸椎の前屈制限異常像と頚椎一ないし四の自然位異常像を認め、これと主訴である頚部痛との間に関係があるが、これだけでは本件事故との関係の有無について判断は不能であると診断した事実、医師工藤三郎自身が、昭和五六年三月二七日付診断書について、交通事故との関係は不明、訴えその他の来院は、感冒、咳等で事故とは関係なしという説明も行つている事実、原告が更に昭和五六年四月四日から九月二一日までの間一五回にわたつて同医師の診療を受け、発熱、全身倦怠感、食欲不振、咳と痰、めまい感、胃部不快感、下痢症状、吐き気、頭重、口渇感、胸部痛を訴えて同医師の診療を受け、慢性肝炎・ノイローゼなどという診断を受けた事実も認めることができ、これらの事実に照らして考えると、医師中野清七あるいは医師工藤三郎発行の前記各診断書の記載からは、原告の症状が本件事故と因果関係のあるものと推認することができない。

2(一)  証人佐々木時雄の証言、鑑定人大野恒夫の鑑定の結果、並びに原告本人尋問(第一、二回)の結果によれば、鑑定人大野恒夫らは、昭和五九年七月頃に原告を診察し、全身所見「やや高血圧・血液正常・尿正常・肝機能正常値・トリグリセライド(中性脂肪)高値」、神経学的所見「異常なし」、頭部X線所見、頭部CT所見及び眼科学的所見「正常」、脳波所見「異常(てんかん波)」、精神医学的所見「抑うつ気分・注意集中力低下・易怒・焦燥感・易疲労・反応性うつ病」、総合所見「数年間の下痢は脳波異常の身体的表現であつたかもしれない、脳波異常は本件事故によるものとは考えられない、反応性うつ病は本件事故による軽度の身体外傷によつて惹起された」という結果を得た事実、右の精神医学的所見については、医師佐々木時雄が、鑑定人大野恒夫から依頼を受けて原告を診断したものであつて、「本患者は頭部に外傷を受けたことによつて心労が重なり胃腸障害などに悩まされたことを考慮に入れると反応性うつ病に冒されているものと考えるのが妥当と判断します」という意見を付した事実、同医師は、右の判断に際し、原告の口頭説明を重視し、明らかに事故の翌日から症状が出ていると認定し、本件事故後に強まつた健康喪失感に由来する心労が大きく、原告には本件事故時に脳震とう型の短時間の意識障害があつたと推定した事実が認められる。

(二)  また、証人野沢史朗の証言、右証言によつて真正に成立したものと認められる甲第一号証、成立に争いのない乙第一号証、第三号証、第四号証、原告車両の昭和五四年九月二八日当時の写真であることにつき当事者間に争いのない乙第五ないし第七号証、被告車両の写真であることにつき当事者間に争いのない乙第八号証、第九号証、並びに原告本人尋問(第一、二回)の結果によれば、本件事故当時の原告車両内では、原告が野沢史朗と話をしながら後部座席から運転席の方に身を乗り出していたところ、追突の衝撃で身体を後ろに持つていかれた事実、野沢史朗も身体に衝撃を感じた事実、原告車両の衝突部位は、後部バンパーの中央部が大きく凹み、トランクの蓋が内側に押されて変形する損傷を受け、後部バンパー交換、トランクモール交換リヤーエンドパネル及びトランクモールの板金加工、塗装などを要し、修理に六万一二〇〇円を費やした事実、被告車両の衝突部位も、前部バンパーがねじ曲がり、左端部が上向いてしまつた事実、原告車両は、フツトブレーキとサイドブレーキの両方をかけて停止していたが、被告車両に追突されたはずみで一メートル程度まえに押し出された事実、原告は、本件事故当時の状況について、「私は後ろにひつくり返り、腰にズキンと痛みがきました。」とか、「腰にズキンと感じ、後ろにひつくり返つて、頭を座席にぶつけた。衝撃は相当強かつた。」などと供述している事実、本件事故時に原告に意識傷害が起きなかつた事実が認められる。被告代表者赤木正雄本人は、追突したが、原告車両を押し出してはいないと思う、たしか傷がなかつたなどと右認定に抵触する内容の供述をしているけれども、記憶のあいまいさを自認しているばかりか、右供述部分は前掲乙第三ないし第九号証、あるいは野沢証言と齟齬する内容であつて、措信できない。

3(一)  しかし、成立に争いのない甲第二六号証の一、二、乙第一五号証、前掲乙第五ないし第九号証、第一三ないし第一八号証、証人野沢史朗の証言、前記鑑定の結果、並びに原告本人尋問(第一、二回)の結果によれば、原告車両の壊れ具合は、原告自身も説明するとおり、バンパーが車体の方にくい込み、トランクの締まりが悪いといつた程度であつて、証人野沢史朗が、大きな事故とは思わず、原告車両の損傷も軽い方だつたと説明している事実、本件事故当時、路面が濡れていたかどうか不明であるものの、路面にブレーキ痕があつたという供述をするものはなく、被告車両の衝突速度がさほど高速ではなかつた事実、原告車両に同乗していた野沢史朗及び土井某の身体には全く故障を生じなかつた事実、原告も本件事故直後に聞かれて「大丈夫だ」と答えていて、身体の痛みを訴えたり、病院に行きたいと話したことがなく、事故による身体異常は感じていなかつた事実、原告には、その後も本件事故と関係する格別な自覚症状がなく、昭和五四年一一月に佐藤義衛から指摘を受けるまで、自己の症状が交通事故に結びつくものとは疑わず、自らは疲労の影響に過ぎないものと考えていた事実、その後に脳波異常以外の神経学的異常が発現していない事実が認められ、原告について昭和五九年の鑑定時に現れた脳波異常(てんかん波)は本件事故に起因するものではないと認められる。これらの事実に照らすと、原告の本件事故当時の状況に関する供述のうち、「腰にズキンと痛みがきました。」とか、「腰にズキンと感じた。」などという旨の供述部分は、誇張の疑いがあつて措信できず、前掲証拠に基づいて、本件事故に伴う衝撃の程度が、原告に身体損傷を起こすに充分な程に強いものであつたと推認することもできない。本件事故によつて原告の頭部に対し、特に強い打撃があつたと認めるに足りる証拠はない。医師佐々木時雄の「明らかに事故の翌日から症状が出ている」旨、あるいは「原告には本件事故時に脳震とう型の短時間の意識障害があつた」旨の推定判断は、その相当性を基礎づける事実が不充分であつて、行き過ぎがある。

(二)  更に、成立に争いのない甲第二七号証の一ないし三、乙第一〇号証、第一一号証、前掲乙第一三号証、第一六ないし第一八号証、証人佐々木時雄の証言、前記鑑定の結果、並びに原告本人尋問(第一、二回)の結果を子細に検討すると、原告は、本件事故後の昭和五四年一一月八日から一二月二日まで佐藤義衛の施術を受け、同月一五日から昭和五五年一〇月一八日まで片平療院こと片平進(二三回)の施術を、同年一一月一〇日から昭和五六年五月二一日まで保志姿勢整復士(三六回)の施術を、それぞれ受けたところ、本件事故前にも、昭和五三年から五四年四月くらいまで多いときは月に四回、少ないときでも月に一度の割合で東京王子の片平療院に通つて鍼治療を受けており、佐藤義衛の治療を受けたことも二、三回あつた事実、原告自身は、本件事故前に片平療院などに通つた目的について、「法人などを作つていた頃で、体調を整えた方が良いと考えて通つたんです」「別にこれといつて悪いところがあつたわけではない」などと説明しているものの、原告には、昭和五四年の五年くらい前に、乾性肋膜炎の疑いで、原因不詳のまま国際親善病院に入通院して数か月間治療を受けた経歴や、昭和五一年か五二年頃にも自動車に乗つていて他車に追突された事故にあつた経歴があり、原告自身も「感冒をひきやすいので行つていた」などと説明していた事実が認められ、これらの事実を総合すれば、従前から、感冒類似の、本件事故後のものと似通つた症状が現れていたと推認できる。

(三)  前掲甲第二七号証の一ないし三、乙第一〇号証、第一一号証、乙第一三号証、第一六ないし第一八号証、成立に争いのない乙第一一号証、第二〇ないし第三四号証、原告本人尋問(第一、二回)の結果及びこれにより真正に成立したものと認められる甲第二三号証の一、二、第二四号証、第二五号証の一ないし二五、証人佐々木時雄の証言、前記鑑定の結果、並びに前記二1、2、三1(一)ないし(三)、2(一)認定の各事実を総合すると、原告は、本件事故当時、学校法人堀井学園京浜女子大学横浜高等学校教員、学校法人中野学院理事長兼事務局長及び学習塾中野学院の経営者を兼ねており、堀井学園横浜高等学校の教員として商業及び職業の授業のほかに進路指導を担当し、併せて学習塾中野学院と若葉台第一幼稚園を自ら経営していた事実、原告の右高等学校における勤務状態をみると、本件事故当日から一〇月二四日までの間は皆勤しているが、昭和五四年四月一日から一一月一六日までの欠勤日数を数えると延べ二四日に及んでおり、このうち同年五月中の欠勤日数が四日、七月中の欠勤日数が忌引を含めて四日、九月中の欠勤日数が五日、一〇月中の欠勤日数が二日あり、一一月は一日、二日、一三日、一五日および一六日に出勤しただけであつた事実、原告が、昭和五四年一一月一九日、二六日、一二月三日、一七日、二七日、二九日、昭和五五年一月一九日、二月二日、二〇日及び三月五日、医師松井豊の診療を受け、この間に同医師から発行された昭和五四年一一月二六日付診断書が「過労、一一・五~一か月」、同年一二月三日付診断書が「自律神経失調症、一二・五~一か月」、昭和五五年一月一九日付診断書が「自律神経失調症、五四・一一・一七当院初診、頭痛、全身倦怠感、気力低下、下痢等、症状はやや軽快の方向であるが、まだ充分ではない。」という内容であつた事実、原告は、昭和五四年一一月一七日以降欠勤を重ねた末、右堀井学園から辞めてくれといわれるようになり、一旦は本件事故に起因する公務中の傷害を主張して退職の効力を争つたものの、昭和五六年一〇月二二日に至り、昭和五五年四月三〇日付で同学園を退職したものと確認する旨の合意を締結し、同学園から見舞金六〇万円を受領した事実、原告は、本件事故後も引き続き学習塾中野学院と若葉台第一幼稚園の経営に自ら関与し、報酬を得ていた事実が認められ、これらの事実、並びに前記認定のとおり、原告が昭和五四年一一月に佐藤義衛から指摘を受けるまで、自己の症状が交通事故に結びつくものとは疑わず、自らは疲労の影響に過ぎないものと考えていた事実に照らして考えると、この間に原告が心労を感じて健康喪失感を強めたものの、この心労は、本件事故に遇つた体験自体に由来するものではなく、むしろ疲労感が強まつて体調が悪化しても、なかなか改善できずに堀井学園の勤務に支障を生じた事態や、このことが原因で堀井学園から退職を求められるに至つた事態の影響が大きかつたと推認できる。仮に、原告が、佐藤義衛の指摘を聞いて、自己の不健康な状態が本件事故に起因するものである旨を思い込んでしまつた事実があつたとしても、原告の症状と本件事故の因果関係を判定するに際し、このような単なる内心の事実のみを重視することは相当でなく、許されない。原告の反応性うつ病を本件事故自体に直接関係づけた医師佐々木時雄の前記意見は採用できない。

(四)  右のとおり、原告には本件事故時に意識傷害が起きなかつたこと、医師佐々木時雄の「明らかに事故の翌日から症状が出ている」「原告には本件事故時に脳震とう型の短時間の意識障害があつた」旨の判断、あるいは原告の反応性うつ病を本件事故自体に直接関係づけた判断は、いずれも行き過ぎがあつて採用できないこと、原告について認められた脳波異常(てんかん波)は本件事故によるものではなく、数年間の下痢は脳波異常の身体的表現であつたかもしれないこと、原告には、従前から、感冒類似の、本件事故後のものと似通つた症状が現れていたと窺われること、原告の心労は、疲労感が強まつて体調が悪化し勤務に支障を生じた事態や堀井学園から退職を求められた事態の影響が大きいと窺われること等に照らして考えると、鑑定人大野恒夫の鑑定の結果のうち、「反応性うつ病は本件事故による軽度の身体外傷によつて惹起された」という判断部分は、その相当性を基礎づける事実が不充分であつて、採用できないというべきものである。

5  ほかには原告主張の頚腰椎挫傷の発生あるいは本件事故と原告の症状との因果関係を認めるに足りる証拠がない。

五  結論

よつて、原告の本訴請求は、その余の点について検討するまでもなく理由がないから棄却し、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 榮春彦)

治療費明細書

〈省略〉

通院費明細

〈省略〉

諸雑費明細

〈省略〉

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